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読書:旅行中に読んだ本「ブラックペアン1988」「カフカ短篇集」

読書:旅行中に読んだ本「ブラックペアン1988」「カフカ短篇集」

10/6~10/8の三連休で、草津温泉上諏訪温泉に行って参りました。詳しい旅の内容は別途記事を立てて書きますが、台風の影響もなく、まずまず順調な旅程でした。ある絶景ポイントについては分厚い雲に阻まれてしまいましたが、それはさておき、飛行機での移動中に読んだ本が二冊あるので紹介します。

今年ドラマ化もされた海堂尊氏の「ブラックペアン1988」と、もうひとつは「カフカ短篇集」です。まったく脈絡のないチョイスで、実際深い意味はないです。たまたま手に取りやすい位置にあったというだけです。

さて「ブラックペアン1988」ですが、海堂尊氏の代表作「チーム・バチスタの栄光」と同一の世界観(桜宮サーガ)を有する一作で、時系列的には過去の物語です。ドラマは見なかったのですが、以前読んだ時、実に面白かった記憶があるので再読したかったのです。本作はミステリ小説としての要素は必ずしも強くないと思いますが、タイトルでもある「ブラックペアン」がひとつのキーになっています。本来ペアンといえば銀色なわけですが、本作の登場人物佐伯教授が所持する手術道具の中に黒いペアン、すなわちブラックペアンが含まれています。物語の筋は必ずしもこの謎の道具に焦点を当てませんが、だからこそ終盤のあるシーンでこのアイテムが輝くわけですね。

私はこの小説はミステリ的要素以上に、群像劇として魅力を感じます。対照的な部分を多く持ちつつ、共通点が少なからず示唆されている高階講師と渡海医師の対立は大いに見所です。たとえば患者に対するムンテラ(患者、家族への病状などの説明)では全く対照的な方法をとる二人ですが、まあこの辺りは実際読んでいただくのが一番ですが、登場人物の思想というか人生哲学には考えさせられます。高階先生の考え方はいわば王道なのですが、渡海先生の思考も魅力的です。作中では最大の大物ともいえる佐伯教授が語る内容ですが、この二人のような対照的な存在が並立してこそ最大の成果が得られるという考えは共感できます。

 

海堂尊作品では「チーム・バチスタの栄光」と「螺鈿迷宮」と、そしてこの「ブラックペアン1988」が好きです。まあそれぞれシリーズ続編を読んでないのですが、この機に「ブレイズメス1990」と「輝天炎上」を読んでみようかな。海堂作品は全部読んでいないどころか「イノセント・ゲリラの祝祭」がイマイチ楽しめず、それ以降まったく読んでないのです。

さて、もうひとつは「カフカ短篇集」です。ずいぶん前に購入して長らく手付かずでしたが、何となく読んでみました。よく難解といわれるカフカですが、短編であることもあり、意外とぐいぐい読めます。ただしこの作家のバックグラウンドを十分に把握していない状況で内容を理解できるかといえば、やはり難しいです。カフカといえばWikiに書いてある程度の内容も把握していないぐらい無知なので、どのような文脈で読むべきなのか予備知識はありませんでした。ほとんどどの作品も解釈の余地があるつくりをしていますが、今回私の印象に残った作品は「流刑地にて」「火夫」あたりです。

それぞれやや長めの作品ですが「流刑地にて」のほうが読みやすいですかね。流刑地の処刑装置と処刑方法の維持にファナティックなこだわりをもつ将校と、客観的な立ち位置を与えられた旅行家のやりとりが中心になります。

複雑な機構を持つ処刑装置は、設定した図面をもとに処刑される者の身体に犯した罪を刻み込むという常識外れな代物で、しかし廃止の瀬戸際にあります。将校は外部の人間である旅行家を利用して、この処刑装置の存続を図ろうとするのですが、旅行家は提案を拒否します。処刑装置の喪失を確信したと思われる将校は、自らの身体を処刑装置に掛けます。なぜそのような結果になるのかと言えば、将校が未来に絶望した結果とも言えますし、もうひとつ理由を挙げるならば処刑装置に用いる図面には「正義をなせ」と書かれており、旅行家が「正義をなした」からとも言えます。付け加えれば、図面に書かれている文字は、将校には読めるものの旅行家には読めない飾り文字なのです。異なる正義がすれ違った結果という見方が可能です。

この作品からはもっと違う内容をくみ取ることもできるんでしょうね。他の作品の方が意味を確定できずさらに解釈の余地があります。意味を固定できなさすぎて茫洋としたところが好みに合えば貴重な読書体験とできるのでしょうね。私はかなり前にこの本を買ってようやく今になって読むことができた、という感じでした。色んな読み方が可能でかつ読みやすいカフカ短篇集、お手元におひとついかがですか。