旅行:2018年ひたすら歩く岐阜名古屋の旅(2.二日目岐阜~二日目養老天命反転地まで)
岐阜名古屋旅行、二日目の話です。今回は岐阜県養老町がメインとなります。ここからひたすら歩く岐阜名古屋の旅が本格化します。
1.岐阜を発つ。
前日は名鉄を利用しましたが、今日はJR岐阜駅です。朝方でも織田信長像は派手派手です。観光名物としての役割は立派に果たしているように思います。思わず見てしまう存在感があります。
最初の移動地点は大垣ですが、あくまで経由地。真の目的地は養老です。養老といえばまず思い浮かぶのはやはり「養老の滝」ではないかと思います。養老の名がついた滝は岐阜県養老郡以外にも千葉県の養老渓谷があります。あとは言わずと知れた老舗居酒屋チェーンです。こちらを思い浮かべる方がむしろ多いかもしれません。
2.大垣を経て養老鉄道へ。
岐阜市から養老へ向かうには、まず大垣を経由して養老鉄道に乗り込みます。揖斐から桑名を結ぶ路線です。JR大垣駅と養老鉄道の大垣駅は目と鼻の先ですが、乗り換え時間がシビアでノンストップ。見物する余裕はありませんでした。
養老鉄道は、車内に自転車を持ち込み可能という特徴があります。ローカル情緒溢れた味わいのある路線だと思います。大垣から養老までは二十分程度です。あっというまに養老駅です。
養老駅から周囲を見ると、のどかな田舎というイメージそのものの風景が広がります。駅内では、ヒョウタンをモチーフにした飾りつけが目を惹きます。養老にはいろいろな名物があるわけですが、瓢箪もそのひとつなんですね。
3.養老町「養老天命反転地」へ。
駅前から養老公園までバスが出ています。非常に短い区間なのですが、駅から公園まで緩くない斜面です。特に拘りがなければバスを利用したほうが良いでしょう。バスから降りてさらに少々歩くと養老天命反転地の入り口に着きます。それほど距離はないので歩いても問題はありません。
養老天命反転地の敷地内はGoogleマップでも収録されている(!)ので、疑似的に体験することもできてしまいます。しかしこの広大なテーマパーク、実体験しないと良さが分からないはず。写真と合わせてじっくりご紹介しますが、ぜひ一度、足を踏み入れて頂きたいと思います。
まず売店的な施設がありますが、ヘルメットを貸し出してます。この時点でこの施設の性質が知れるというもので、安全平凡なテーマパークではありません。
4.「養老天命反転地記念館」
養老天命反転地で、まず最初に訪問するであろう建物。カラフルな建物ですが、建物に足を踏み入れてからが本番です。
お判りいただけるでしょうか。足元と天井が鏡で映したように相似した形状になっています。上下が反転しても成り立つような内装になっているのです。
いわゆるインスタ映えを意識して、足元の壁に登り、天井の壁(?)に手を伸ばす構図での写真撮影が流行りのようです。上下さかさまにすると、天井からぶら下がっているような写真になるはず。
建物を出ると、その先には昆虫山脈と不死門が待ち構えます。すごいネーミングですが昆虫山脈は岩場の上に組み上げポンプがあるという趣向の構造物。
おそらくこの施設の中でも有数の危険度を誇ります。転落したら相応の怪我は免れないでしょう。ついで不死門。名前からして、養老天命反転地の本当の入り口みたいなものなのだと思います。ここからが本番。
養老天命反転地のオブジェクトとしては地味なほうですね。足元の金属床に「養老天命反転地」の文字が彫り込まれているほか、動物の像が備え付けられています。ウサギとネコ、ヘビだったか。風水絡みのチョイスでしょうか。
5.「極限で似るものの家」
次に姿を現す建物は「極限で似るものの家」です。
外見からして複雑怪奇な構造物です。上の写真では「吉城郡」という文字が目に入りますが、建物や足元に岐阜県の地図が描かれています。ちなみに、養老天命反転地は1995年に開園していますが、その10年後、吉城郡は消滅してしまいました。ひときわ目立つ位置に書かれた、既に無い地名。誰の思惑にもよらない偶然のなせる業というのは趣き深いものだと思います。
さて、この建物は内部に入ることも可能です。明確な通路や順路はなく、狭小な隙間を潜り抜けて歩き回ります。
壁にめり込んだソファ、天井に電話機とベッド。様々な家具がほとんど支離滅裂に配置されています。分解と再構築という言葉が思い浮かびます。
この施設には、一応「利用方法」というものがあるらしいのですが、筆者はそれに気が付くことなく、思うまま見て回るだけに終わりました。
6.「精緻の棟」
さらに次に現れるモニュメントが精緻の棟です。写真で見てもわかる通り、この辺りは上り坂になっています。そして大穴が開いていたり溝が伸びていたり、危険な領域でもあります。
傾斜を生かして斜めに立っているように見せかける写真が多いようです。坂の上のほうから見るとまた少し雰囲気が違って見えます。
建物下の隙間から内部に入り込むこともできますが、ここはごく狭い隙間しかない上に危険度が高く、見返りはそれほどないです。建物の左下にチラッとハシゴが見えていますが、老朽化もあり、登るのは危険だと思われます。
さて、養老天命反転地の本番は、ここからです。
7.「楕円形のフィールド」
広大な「楕円形のフィールド」です。見ての通り起伏に富み、高低差が激しく、広さも並大抵ではありません。写真中央からやや右などに人影がありますが、その小ささからフィールドの広大さが伺えると思います。自分の足で歩き回る苦労も図れるというものでしょう。ホント、情け容赦なく危ないです。ただの屋外アートみたいな気持ちで訪問したら後悔すること間違いありません。とにかく足元が覚束ないので、自然と目線は足元に向かいます。
上の写真で、楕円形のフィールドの奥を塞ぐように壁がありますが、この壁の上は通路があり、歩くことができます。この道も当然のように上り坂。
初見では、どこへ繋がっているのか分からないため、ちょっぴりワクワクした気持ちで狭い道を進んでいきます。すれ違うのも一苦労です。このルートは、ぜひ体験していただきたいところ。道中では、これまで歩いてきた道のりを振り返るような光景も見られます。
さて、小道を降りて楕円形フィールドの中心部に向かいます。まず、下の写真は個人的にはお気に入りの一枚。これから広大な楕円形のフィールドに挑む、みたいな雰囲気が出ているような気がしています。まあ映り込んでいる方は見知らぬ方なので、知人友人許可が取れる方であれば良かったのですが……。
古い写真を見ると、昔はもっと樹木が小さくて、建物や通路を見つけやすかったように思います。開設以来そこそこ長い月日が経過したことで、アートを取り巻く風景に変化がもたらされたというのも、巨大な屋外展示ならではでしょうか。
次の写真は「宿命の家」と呼ばれるアートです。
フィールドの中央付近に置かれている低い塀です。このランダムな配置を見ていると、既に見た「極限で似るものの家」に似ているような気がします。むしろ「極限で似るものの家」を構成するパーツが楕円形のフィールド全体にばらまかれているような印象を受けました。ひとつの物体が解体されて見えるという点で、メッセージ性があるように感じます。
さて、おおよその場所を見て回ると、傾斜の厳しさが響いたのか、十一月とはいえ汗をかかずにはおられません。そろそろ出口へ向かおうかなと、すり鉢状のフィールドから辺縁部へ向かいます。這い上がるように楕円の縁に出ると、それまで余り意識していなかったものが見えました。
空です。何しろ足元が危険なので、目線が下にばかり向かいます。上を向いても基本は不思議なオブジェクトに目が行くため、あまり空を意識しませんでした。上空に意識が向いた時、何かこう山を登り切った時のような謎の達成感、開放感のようなものがあったんですよね。この体験が製作者の意図したものに沿うものかどうか分かりませんが、個人的には満足しました。
さらに別の小規模な展示「パーキング・プロムナード」もあったのですが、これはもう展示期間を終了しているはずなので、写真一枚だけ載せておきます。
こちらの展示については、個人的にいろいろ思うことが多い時期で、ダイレクトなメッセージが少々心に響きました。養老天命反転地は「死なないため」をテーマにした作品であるということを思い起させるものでした。
さて、広大な養老天命反転地を歩きまわったといっても、まださほど疲労した状況ではありません。ここからさらに養老の滝へ向かいます。歩きます。
その様子は次回の記事で。